日本という国は、資本主義国家である以上、利潤を得、その上に人々の生活が成り立っています。様々な業種の中でも歌舞音曲の類は、世に広く出ることと高く評価されることを一般に目指しています。一人の芸術家の努力がそのように結実し、多数の公演や高収入を得ることは成功と世間では評価を与えます。果たして、このような競争主義社会が能楽界に当てはまるかというと、私たちはそうではないと確信しております。無論、切磋琢磨し芸を精進し続けることは必要ですし、自ら未知な可能性への挑戦はし続けなければなりません。しかし自分のことだけでよいのでしょうか。目立つ話題や物珍しいことで、観客を引き付けることが私たちのするべきことなのでしょうか。様々な方法によっての自己アピールを優先に考えていいのでしょうか。一時的には観客がつくかもしれませんが、その観客は本質的に能に惚れているのでしょうか。話題の先頭に立つその人が好きなのではないでしょうか。本質が見えないとは、こちら側が十分に示していないことが原因なのかもしれません。しかし体制を嫌ったり、能を利用しながら個人が飛び出したとしても、能から離れられない中途半端なものの中に、観客が本質を見出せる能はあるのでしょうか。能そのものに興味を持ち、再び友人を誘いたくなるような感動を与えられる能とは何でしょうか。崩そうと思えば、能は一人の異端児によって簡単に崩れてしまいます。
似非物も多く出回るでしょう。今、見失ってはいけないことは、本物の能を確実に広く伝えて行くことではないでしょうか。これが能楽師の道を選んだ、現代の能楽師の使命であると私たちは考えます。もちろん個人や団体で新しい試みを催会することはすばらしいことだと思います。しかし忘れてはいけないことがあり、それが今一番重要なことであると思っております。現代を生きていく中で、能に価値が見出されるのは、どういった機会なのでしょう?とある番組で、小沢征爾氏が言っていたのですが、結局のところ、創り手側や演者自身が、まずそのものに感動しなければ、受け手には感動は伝わらないということです。能を次の世代へ伝えていくということは、その感動や想いがなくては難しいのではないでしょうか。能楽界がどのように、全ての人々に日々感動を伝えていこうとしているのかが今問われているのです。これだけの情報が氾濫する中でも、能を観たことの無い人がどれほどいるでしょう。小中学生の中に、能という言葉を知っている人がどれだけいるでしょうか。東京では今日、盛んに催しがありますが、地方都市に於いては確実にその数が減っています。そして今、切符が売れないという事実は、切実な事態なのです。神遊はこれを憂慮すべき事と感じ、一人でも多くの人によい能を観て頂きたく、そして楽器にも触れて欲しいと切望しています。何時の日か、親が子供を連れて、映画を観る様な気軽さで楽しめるように、全ての人に身近に感じて頂けるように、私たちは今、活動しなければならないと考えています。もっと色々な場所に出向き、解説と実演を交え、楽しみを教えてゆきたいのです。神遊を御覧頂いた方の中に、ぜひ私の子供の学校で能の紹介と囃子をしてほしいなどの御要望があれば、すぐにでも喜んで伺いたく存じます。しかし全てにおいて突き当たる事は、金銭的な問題なのです。場所を借りるにも、交通費にも、楽器を用意するにも、装束を準備するにも、そのほかの先生方のお礼にもお金は必要です。そのために私たちは神遊特別会員を設立しました。この趣旨に御賛同いただけるならば、ぜひ御願いいたしたく存じます。能楽協会においても教育特別委員会が設置され、この問題を切に話しあっております。新しいシステムによって、すそのを広くできるようにもと、色々考えております。どうぞ御力添えを賜りたく何卒宜しく御願い申し上げます。
神遊一同 |